デルタ航空 羽田シアトル線の行方 その3

そして、2010年になると日米航空協定に基づき、米国運輸省は羽田空港の4スロットを米国の航空会社に付与しました。羽田空港の利便性に着目し、アメリカン、コンチネンタル、デルタ、ハワイアン、ユナイテッドの各社は、このスロットの配分に応募しました。

2010年当時、東京(成田羽田)への国際線は米国線のシェアが一番多く、アメリカン、コンチネンタル、デルタ、ユナイテッドの4航空会社がボーイングの大型機材である747 777 767を使って米国の15都市を結んでいました。さらにデルタとユナイテッドは以遠権(敗戦国の日本が日米不平等協定として締結したもの)を行使して成田空港からアジア路線も運航していました。

これら15都市のうちこれら米系航空会社が競合していたのは、3都市のみで、シカゴ、LAそしてホノルルのみでした。LAとホノルルは日系人口が多いため、シカゴはユナイテッドとアメリカンがハブとしていた為に競合していたと考えられています。

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デルタ航空 羽田シアトル線の行方 その2

羽田空港の位置と歴史

羽田空港は東京都心部から14km、成田空港が都心部から66kmなのに対して明らかに有利な立地条件にあります。

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2013年時点で世界第4位の離発着の羽田空港は、1931年に開港。80年以上に渡って日本の主要空港として運営されてきました。

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開港当時の1930年代は、日本国内と韓国への旅客、郵便、貨物輸送に使用されてきました。当時の主要航空会社は、Japan Air Transport Co.で現在の日本航空の前身です。

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第二次大戦と戦後処理後期間を経て、本来の旅客、郵便、貨物輸送を再開しました。戦後最初の国際線は1952年で、パリ オルリー空港からのエールフランスのコンステレーション機でした。

1978年に成田空港が千葉県に開港し、台湾方面を除くすべての国際線が成田空港へ移転しました。30年後の2007年になると羽田空港は再び国際線の発着を認められるようになりましたが、香港のような短距離国際線に限定され、また離発着も夜は2030から2300、早朝の600-830に限定されました。この枠を使って日本航空や全日空はアジア路線を運航しました。

2008年になると日本の運輸省は羽田空港と全世界への運航を許可しましたが、発着時間は引き続き2300 – 700の深夜早朝に限定しました。ブリテッシュエアウエイズのロンドン線、エアカナダのバンクーバー線、アメリカン航空のニューヨーク線などが開設されましたが、発着時間が不便な深夜早朝のために上手くいきませんでした。また深夜早朝の羽田空港への電車バスが無いことや、空港内の休憩スペースの閉鎖などもあり不評でありました。

デルタ航空 羽田シアトル線の行方 その1

羽田 デトロイト線のスロットを羽田シアトル線にコンバートとして運航を2013年に開始したこの路線、廃止の可能性が高くなってきました。デルタ航空は2014年秋から2015年3月末までこの路線を突如運休しております。羽田のスロットを90日間運航しないと、米国運輸省にスロットを没収されてしまう為に、デルタ航空は90日毎に数日間運航してスロットを維持するという姑息な手段を取っています。

これに噛み付いたのがアメリカン航空とハワイアン航空で、それぞれ羽田のこのスロットの再配分を主張。米国運輸省も再配分を検討開始しました。アメリカン航空は羽田LA線、ハワイアン航空は羽田コナ線、デルタ航空は羽田シアトル線の継続を申請し、現在、検討中です。さあ、その行方は。